オモシロキコトモナキ世ヲおもしろく、

皆さんにとって何かしらの「キッカケ」になれば幸いです、

行動力なんて皆んな同じ

行動力ハンパないっすか??

 

嬉しいことに、たまに「行動力ハンパないっすね」って言われることがある

 

そして「俺、私はそんな行動力ないですよ…」

 

って決めつけてる学生がたまにいる

 

けど、個人的には「行動力なんて皆んな同じ」だと思う

 

そう言う学生の話をよくよく聞くと
「ライブ」で各地に行ったり
「パチンコ」しに遠くへ行ったり
夜中に「ボーリング」「カラオケ」しに行ってそのまま学校だったり

 

方向はそれぞれ違うけれど
これも立派な『行動力』だと思う

 

興味の幅

 

ただ一つ違うと思うのは
『興味の幅』

好きなことにしか興味を示さないのか


それとも、、、


好きなこと以外にも興味を示すか

 

それだけのエネルギーがあるなら

たまに、大して好きでもないことを好きになってみようとする…

 

そしたらまた違った面白い世界が見えてくるんじゃないかな…

人がいないから売る

 

朝市の終わった勝浦は正直人通りは多くない
そこでコーヒーを売っているとよく言われる…

「人いないでしょ、もっと人が多い所でやれば?」

もちろん自分の事を気遣って、協力しようとアドバイスを頂いてるのはわかるけれど

「ありがとうございます…」
(でも自分の考えはちょっと違うんですよ〜(^^;;…)


ってのが本音


自分にとって、コーヒー屋は「目的」じゃなくて「手段」だから

 

そもそも、コーヒー屋が目的だったら「勝浦」ではやらない

それこそ、東京とか人がいるところでやる

 

でもそうじゃない、


コーヒーを売りたいから、人がいる所でコーヒー屋をやるのではなく
人がいない所に人を集めるために、コーヒー屋をやってる



『田舎に人が集まるオモシロイ空間を、』


コーヒー屋という「手段」で

人と人がつながる「場」を創り出すことが「目的」

 


だから僕が本当に売ってるものは「コーヒー」じゃない…

 

SPAICE COFFEEの本当の売り物は「場」であり「つながり」

 

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だからこそ僕は「人がいないから売る」


やっぱさ、何もないからオモシロイ!!!

出張〜

 

明日火曜はやりますよー^o^

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先日、初の試み!
「ふじはら酒店」さんの立ち飲みイベント「カクウチ」にお邪魔させて頂きました!

新たな「出会い」がたくさんありました!


お陰様で日頃の活動を広めることも出来ました♪

 

これからもこうやって
色んな地でSPAICEコラボさせて頂いて
「田舎に人が集まる場所」をつくっていこ!!

 

今後もタイミングが合えばお邪魔させて頂きますので
お近くの方は是非遊びに来て下さい^ ^
もちろん、美味しいお酒も飲めますよ〜

 

『ふじはら酒店』
↓↓↓↓↓↓↓↓
https://www.facebook.com/fujiharasaketen/

I'm a COFFEE PERSON‼︎

最近お店のお休みが多くて申し訳ありませんm(_ _)m


そんな中、色々考える時間もありふと思ったこと

「やりたいことがあり過ぎてよく分からない」

 

最近色々な方面の方から色々なお話を頂いてとてもありがたい限りです!

 

が…
アレもコレもと突っ込んで
先のこととか考えて
1番の大前提を見逃していた…

 

良く最初の状況になる学生は多いと思う

 

やりたいこと一回全部忘れて「0」の状態で「自分が何者か」考えてみると良いかも

真っ白の状態で「今」を考える
自分にとって「大切なモノ」って何だろう?
詰まりは「守りたいモノ」って何だろう?

 

どんなにやりたいことがあっても自分の体で出来るのはそう多くない
地道に焦らずやってく先に「夢」が待ってるのかな

「場づくり」がしたかったり
「イベント」がしたかったり
「パイプ役」でありたかったり
色々あるけど

 

その前に、、、

 

俺の守りたいモノは……で
そう、「俺はCOFFEE PERSON‼︎」

だったな…f:id:spaice:20160616173558j:image

僕がチャリンコでコーヒー屋を始めた理由〜其の二〜

何かを始めるのに理由はいらない

 「なぜ、チャリンコなのか」

 「なぜ、コーヒーなのか」

 

 今でこそ、それなりの理由(外向けのもっともらしい理由ww)と明確なビジョンを持って答えられるけれど、始めた当初は大きな理由はなかった。

 

 むしろその「理由がないこと」から伝えたいことがあった。

 

 

 空間を作りたいという思いは最初からあった。

 であれば、

 別に初めからお店を持ってご飯屋さんとかでもいいわけ。

 

 でも、じゃあなぜ、チャリで、コーヒーなのか…

 

 「面白そうだったから」

 

 これが正直な答えだけど

 もう少し詳しい理由を…

 

 空間を作る→カフェ=コーヒー→金ない=チャリ

 

 言っても当時の俺の頭の中の回路はこれだけ

 

 空間を作る…「カフェ」かな!

 でも店持つほど金ねーな…車?…やってる人いたなぁ…チャリだな!

 カフェか…コーヒーだな!!

 

 っていう勢いだけでチャリでコーヒー屋というスタイルになった

 

 しいて理由を挙げるとしたらたったこれだけ

 

 でもたったこれだけから伝えたいことがあった。

 

 「何かを始めるのに理由はいらない」

 ってこと。

 

 今の時代やりたいことを言うと、すぐ「なぜそれをやりたいの?」って聞かれる。

 そして大層な理由がないとすぐに「そんなの無理だね」って否定される。

 

 唯一必要な理由があるとすれば

 「やりたいから」

 これだけだと思う。

 

 あとは、やってる間に色々考えていけばいい。

 1年もやれば大体見えてくる。

 

 この土地でやる理由も、このスタイルでやる理由も、そして今後のビジョンも

 

 初めっからこんなの考えてても思いつかないし考えてる間にやる気を無くす。

 

 先ずはとにかくやってみる!

 細かいことはそれから考える!!

 

 

 ******

 いろんな人がいますから、これじゃ甘い!って思う方もいらっしゃると思います。

 それはその人の考えで、これはあくまで僕の個人的な考え。

 「俺はこれが良い!」ってだけで「他の人のそれはダメ!」ってことではないので勘違いなさらないでくださいね♩

 「みんなちがってみんないい」っていいますからね 笑

 

 

ではまた次回の雨の日まで!

ありがとうございました!

 

僕がチャリンコでコーヒー屋を始めた理由〜其の一〜

自分に素直に生きる

 

 僕の大学生活については以前話したのでこちらを↓↓↓

spaice.hatenablog.com

 

 ホームステイ先は「アメリカ」

 初の海外で、環境や文化の違いから、本当に多くの刺激を受けた。

 でも、1番大きな刺激はホストファミリーだった。

 

 日本であれば、1つの大学に行って就職するのがごく普通で、分野によってはさらに専門へ行ったり大学院へ行くこともある。というのが一般的…

 

 行ったのは僕が大学2年の頃。同い年の男の子がいた。彼は既に通信のようなものを含め大学に2つも行っていた。しかも分野はバラバラ…

 

 理系の大学へ行って、次に経済系の勉強をしたらしいが、その2つとも自分がやりたいことではなかったらしく、また次にスポーツトレーナーの勉強のため別な大学へ行くと言っていた。

 

 さらには、母親も50歳近くになるのだが、芸術の勉強をするべく大学へ通っていた。

 

 もちろん家庭環境もあるが、あっちでは特に驚くことではないという。

 

 日本しか知らない僕には「驚き」しかなかった。

 

 これを「文化や環境の違い」と言ってしまえばそれでお終い。

 そうじゃない、あっちの人は「自分の夢」に素直。自分がやりたいと思ったら、とにかくやる、でもやってみて違ったら他のやりたいことをする。

 

 この状態がいつまでも続くようでは問題かもしれないけれど、日本の大学生に多い、やってみて違うと思ってるのに、色んなしがらみを気にしてしまって結局その道をなんとなくでやりきってる。という状況よりは良いのではないかと思ってしまう。

 

 僕がコーヒー屋を始めた理由の一つ、「自分に素直に生きる」ということを伝えるため。

 

 継続はもちろん大切。だけど「辞める」ということも同じくらい大切。

 

 今の時代大学卒業したら「就職」するのが「当たり前」みたいになってるけど、何割の人が本当にやりたいと思って就職してるのか不思議でしかない。

 

 「楽」して生きたいなら、何も考えずなんとなく生きれば良い。

 「楽しく」生きたいなら、必死に考えて自分に素直に生きるべきだと思う。

 

 就職が全てではない。

 「自分に素直に生きる」

 人生は甘くないって言うくらいだから、道は過酷だけど、だからこそ毎日が「楽しい」んだと思う。

 

 

 続く…

 

 お付き合いいただきありがとうございました!

 

震災を経験した僕が5年経って気づいたメッセージ

2011.03.11

 高校の卒業旅行を目前に早々に大学が決まった僕はあの日、暇を持て余し友達の家にいた。

 福島の中でも内陸よりだったため、津波の心配も、原発の区域内でもなかった。家族も友達も家も、幸い皆無事だった。

 ライフラインは絶たれたものの、「命」はあった、そして動ける「体」もあった。

 そんな中、高校の体育館に津波原発の関係で飛び出してきた来た方が多く避難しにきていた。

 

 いてもたってもいられなかったからボランティアの連絡があって、速攻で向かった。

 

 ………

 リアル(現実)をつきつけられた。

 何もできなかった。

 言葉を失った。

 

 ボランティアといっても特別何かができるわけじゃなく「子供達と遊ぶ」か「話を聞く」くらいだった。

 そしてその中には家族を失った方、家をなくした方、故郷に戻れない方がたくさんいた。

 

 幸せなことだけど俺は何も失わなかった。

 

 同じ被災者という括りだけど、何も失ってない自分。

 動ける状況で、こんなに近くに助けを求めてる人たちがたくさんいるのに、何もできない自分。

 

 悔しかったし、無力さをつきつけれたし、大げさかもしれないけど、自分の存在意義させも考えさせられた。

 

 「俺には何ができる?」

 

2016.03.11

 それから5年。大学も卒業して1年が経とうとしてる今日、やっと気づいたことがあった。

 5年前のあの日の行動、間違ってなかった。

 何もできなかったと思っていたけど、そうじゃなかった。

 体力的にも精神的にも疲れ、集団生活の中回りの目を気にして一緒に遊べない親達に代わって「子供達と遊ぶ」ことが出来た。

 友達、家族と別れ、話せる人が居なくなってしまった人から「話を聞く」ことが出来た。

 

 そして何より、「何もできなかった」と痛感することができた。

 だから、「自分には何ができるのか」と考えることが出来た。

 

 5年経った今福島から遠く離れた勝浦でコーヒーを売っている

 

 時間も場所も状況も関係ない

 

 5年経った今日、あの日心に刻まれたことを、あの日亡くなった方々からのメッセージとして受け取った。

 

 「俺には何ができるのか」あの日心に刻まれた…

 「今を生きてるあなたには何ができるの?」そう聞かれてる気がした…

 

 「今を生きてる者として必死に今できることをやる、そして、今を生きれなかった方々を思い、俺には何ができるか考える」

 

 あの日をきっかけに「今」を生きれなかった方が大勢いる。でも俺は「今」を生きることができる。そして、状況は違えどあの場所にいた者として無責任な生き方はできない。

 

 これが5年たった今日、気づいたメッセージ。

 

 

 お読みいただきありがとうございました。

 皆さんにとって何かしらのきっかけになれば幸いです。